水子供養の拝所が崩壊して学んだこと──失われゆく聖地と「生き証人」としての役割 

崩壊した拝所...

先日、久しぶりにクライアントさん同行で水子供養のために、沖縄にある拝所(うがんじゅ)へ行きました。

その際、私そして私のチジウヤが長年お参りしてきた水子供養の拝所が一つ、崩壊していました。 



拝所に到着し、その光景を見た瞬間――

胸に大きな穴が開いたような、言葉にできないショックを受けました。 

 ただ名前を聞いたことがあるとか写真で見たことがあるとか、そんな距離感じゃない。 

 実際に何度も足を運び、空気を感じ、手を合わせ、拝みをした場所なのだから。 

失われる拝所、失われないもの 

拝所というのは、永遠じゃない。 


どんなに大切にされてきた場所でも、

時間、政治、経済、戦争、開発、自然災害──

さまざまな理由で姿を消すことがある。 


実際、入れなくなってしまった拝所 。

元々の場所じゃないところに動かされた拝所 。


そして、拝所ごと消えている拝所もある。 


知っているのは実際に拝所へ面通しをし、引き継ぎ、その場所で拝みを行っている私たちだけ。 


日本だけの話じゃない。 
世界中、どこの国でも同じ。 

歴史ある建物や場所が守られるものもあれば、失われるものもある。 


でも、それは「無くなった=終わった」という意味ではない。 

師匠(ご子息)の言葉 

その日の拝みを終えてホテルに戻り、すぐに師匠にこのことを伝えました。 

師匠からの返事は、私の予想とは少し違うものでした。 

「私たちは、その歴史を引き継いで拝みを行っている。


 さみしくてショックだけど…
 それはそれで、あなたがまた一つ本物の歴史の階段を上ったって事にもなる

 そのことで拝所があなたに力を与えてくれる事にもなる
 それが重なっていったときにふらんすが拝みの生き証人になるって事だね」 

ふらんすが、また一つ本物の歴史の階段を上ったという事 にもなる

※ふらんすとは私が拝みをするときに、あの世の神々につけていただいた屋号みたいなもの


師匠の言葉の中で、特に印象に残ったのがこの部分。 


建物が残ることだけが、歴史じゃない。

拝所が形として存在し続けることだけが、価値じゃない。 


「そこに何があったのか」
「誰が、どんな想いで祈ってきたのか」 

それを知っている人がいる限り、 その歴史はちゃんと生き続ける。 


むしろ、形が失われたときにこそ 本物だけが浮かび上がることもある。 

「知っている」という事実の重み 

その拝所を 

・知っていた 
・実際に行った 
・そこで拝みをした 

この三つが揃っている人は……これから先、確実に減っていく。 


数年後、数十年後には「そこに水子供養の拝所があったこと」を 本当の意味で語れる人は、ほとんどいなくなるかもしれない。 


それは、とてもさみしいこと。 


でも同時に、
「知っている人が生きている間、その拝所は消えない」  ということでもある


生き証人・・・。 

この言葉は、最初は理解できませんでした。 


なぜ大切な拝所が失われたことが「階段を上る」ことになるのか?


しかし、師匠からの言葉を何度も読み返すうちに、そこには深い真理が込められていることに気づきました。 


この記事では、拝所の崩壊という出来事を通して、私が学んだことを共有したいと思います。 


それは単なる建物や場所の喪失ではなく「失われゆくものとどう向き合うか」「記憶を継承することの意味」という、人生全般に通じる普遍的なテーマでもあります。

水子供養の拝所とは──沖縄の精神文化の一端 

私の行っているのは「水子成仏供養」です。 
 

この水子成仏供養とは、この世に生を受けることができなかった子どもたちの魂を慰め、納得してあの世に自分で歩き出す成仏と生きている人間が納得するためにする供養という行為です。


沖縄では、こうした供養を行う特別な場所(=拝所)が各地に存在してきました。 

拝所は、沖縄の精神文化において非常に重要な位置を占めています。 


それは単なる宗教施設ではなく、人々の祈りと感謝、そして深い悲しみが何層にも重なった、精神的な聖域。 


親たちの涙と愛、小さな命への祈り、悲しみや後悔、怒りや絶望の念が染み込みんだ場所、そんな大切な場所を大事に次の世代に繋ぐため重ねてきた時間が歴史になっています 。

そこは悲しみを受け止め(受け入れ)癒しを与え(癒しを乞い)、 明日へ生きる希望を見出す糧となる場所でした。 


多くの人々がその場所で手を合わせ、心の平安を取り戻してきた。 

私自身も拝み師®︎として何度もこの拝所を訪れ、拝みを捧げてきました。 


その空気感や風の流れ、木々のざわめき、そして神聖な静寂すべてが記憶に刻まれています。 

失われゆく聖地の現実──時間と政治の前で 

師匠の言葉にあったように、何事も「歴史や建物など、時間やその時の政治でなくなることもある」のです。 

これは厳しい現実ですが、避けられない真実でもあります。 


沖縄には、かつて数え切れないほどの拝所が存在しました

しかし、時代の変化とともに、多くの聖地が姿を消しているようです。 

  • 開発による消失:都市化や道路建設、リゾート開発などにより取り壊されるケース 
  • 自然災害:台風や地震、豪雨などによる崩壊 
  • 継承者の不在:拝所を管理し、祈りを捧げる人がいなくなることで荒廃していくケース 
  • 戦争の影響:沖縄戦により多くの聖地が破壊され、場所すらわからなくなったケース 
  • 価値観の変化:現代社会において、伝統的な信仰や習慣が軽視される傾向 


これらは悲しい現実ですが、同時に「今、この瞬間に存在する聖地の価値」を私たちに教えてくれています。 


今回崩壊した水子供養の拝所も、おそらく様々な要因が重なった結果だったのでしょう。

自然の力、時間の経過、そして人々の関心の変化――

これらすべてが、一つの聖地を失わせる要因となったと思います。

この水子成仏供養の拝所は、実はパワースポットとして紹介されている場所なのです。 


ですが、拝所があることは知られていない聖地でもあります。 
(拝所があることを知っていても、何の神様・そして拝みをあげる拝所なのかまでは・・・)

おそらく、誰も訪れていないのでしょう。
向かうたびに入り口がジャングル化していて、草木をかき分けてやっと入り口にたどり着く拝所です。 


何メートルも深い洞窟の中にある拝所。 

龍宮神と繋がる海がその洞窟の中にあり、別世界の様な拝所でした。 


時には薄気味悪く、時には水玉模様の光を取り入れてくれる綺麗な拝所。 


もうあの拝所は無くなってしまいましたが……形は変わってもそこにいる神、そして記憶は消えない。 


拝みというのは「場所」だけじゃなく、「人」を通して受け継がれていくものだから。 


「知っている」ことの価値──記憶を持つ者の責任 

私は、崩壊する前の拝所を知っています。 

その場所の空気を知っています。

そこで祈りを捧げたときの、神聖な感覚を知っています。

風の音、木漏れ日、香りを知っています。 


そして、そこで感じた深い平安と魂の繋がりを知っています。 


この「知っている」という事実は、実は非常に大きな価値を持っています。 


知っているといっても、ネットで見たことがあるとかテレビや雑誌で見た事があるとか、誰からか聞いたなどのレベルではありません。

実際に自分の足でそこに立ち、空気に触れ、様々な何かを感じた特別な場所を知っているということ。



時間が経つにつれ、その拝所を実際に訪れ拝みを捧げた人はどんどん減っていきます。

やがて、私のような「実際にそこで拝んだ経験のある人」は、数えるほどしかいなくなるでしょう。 


そして最終的には、誰も実体験として知る人がいなくなる。 


その時、私はきっと「生き証人」になる。 

さみしさを超えて──拝み師®︎としての実績 

「さみしいけど、そこにあなたの拝み師®︎としての実績がつくね」 

この師匠の言葉は、最初は受け入れがたいものでした。 


大切な拝所が失われたことが、なぜ「実績」になるのか?

悲しみや喪失感を「実績」という言葉で語ることに、違和感を覚えたのです。 


拝み師®︎としての実績とは、単に何年修行したとか何人の人を導いたとか、そういう表面的な数字ではありません。 


実際、何人の拝みをして誰を助けてきたなんて、すべてを覚えてもいないし数えたこともない 。


私たちは、目の前の今にも消えて無くなってしまいそうな魂の声に耳を傾け 、そんな人たちの最後の希望の光であり続ける。

本当に救いを求めている人を、今できる分で全力で向き合い救う事を旨としている 。


その一つ一つ積みあげられた刻が、自分自身を創りそれを来世に繋ぐ。

本当の実績とは、そのことに尽きる


簡単にまとめると「どれだけの歴史を体験し、継承してきたか」にあるのです。 


崩壊した拝所での祈りの経験は、もう二度と新たに得ることはできません。

これから私たちのチジウヤの拝みを引き継ぐ人が出てきたとしても……その人は、その場所で手を合わせることができない。 

つまり、私が持っている記憶と経験はもう誰も新しく得ることができない、唯一無二のものなのです。 


正直に言うと、 今もさみしさはある。 


「もう、あの場所で手を合わせることはできない」 
そう思うと、胸が締めつけられる。 


そこにあるのが当たり前ではないと気付いた今だからこそ、 より強く自分の心に刻み一瞬一瞬に魂を込めて拝む 。


でも、さみしいだけで終わらせなくていい。 

そのさみしさを知っている拝みの記憶を持っている人が、この先も生きていくのだから。 


それ自体が、拝みの実績になる。 

これは同時に、大きな責任でもあります。 


その拝所の記憶を持つ者として、その精神性を伝えていく。

形あるものは失われても、そこに込められていた拝みの本質や聖なる雰囲気、神や人々の想いを言葉や行動を通じて次世代に伝えていく。 


それが、「実績」という言葉の本当の意味なのだと、今は理解できます。 

生き証人になるという役割 

師匠が言った 「拝みの生き証人になる」という言葉。 

これは、特別な力を誇示する話じゃない。 

派手なことをする話でもない。 


ただ、 

・知っている 
・見てきた 
・拝んできた 


その事実を、 自分の人生の中で静かに持ち続けるということ。 


そして、必要なときに必要な形で語ること。 


何者かに成ろうとするのではなく、自分がどうあり続けるかが大切でその在り様が自分を何者かにする


時間が経つにつれ、私は様々な拝所の変化を目撃することになるでしょう。

崩壊するもの、形を変えるもの、完全に忘れ去られるもの。 


その一つ一つが、私の中に積み重なっていきます。 


そしてそれが重なった時……

私は単なる拝み師®︎ではなく「ある時代の沖縄の精神文化を実際に体験した生き証人」になるのです。 


戦争とかもそうだけれど……

歴史書には書かれない、数字では測れない、でも確かに存在した聖なる空間の記憶

それを保持し、後世へ伝えていくこと


それが私の使命なのだと、今回の出来事を通じて深く理解しました。 

拝所があなたに力を与えてくれる 

「さみしいだけじゃなくて、そのことで拝所があなたに力を与えてくれる事にもなる」 

この師匠の言葉も、深い真理を含んでいます。 


一見すると、拝所が崩壊したことは完全な「失う」出来事のように思えますよね? 


大切な場所を失い、二度とそこで祈ることができないのですから……これは紛れもない「喪失」です。 


しかし、スピリチュアルな視点から見ると、状況は少し違って見えてきます。 


拝所が物理的に崩壊したとしても、そこに宿っていた霊的なエネルギー、何世代にもわたって捧げられてきた拝みのエネルギーは消えません。 


むしろ、その場所を「知っている」「実際に拝んだ」という私の中に、そのエネルギーは託されるのです。 



考えてみてください。
もし私がその拝所で一度も祈ったことがなければ、崩壊のニュースを聞いてもここまで深い悲しみは感じなかったでしょう。 


でも、私は深く悲しみました。

それは、私とその拝所との間に深い絆があったからです。 


その絆は、拝所が物理的に消えても切れることはありません。

かえって崩壊したことにより、その絆はより強く意識されるようになりました。 ]

私がその拝所で拝むとき、人に教えるとき、記憶を語るとき、その拝所の精神は生き続けます。 

そして、その拝所に宿っていたエネルギーは、今度は私を通じて放たれていくのです。

これが「拝所があなたに力を与えてくれる」ということの意味なのだと思いました。

人生における「失われゆくもの」との向き合い方 

「この話は生きていくうえで他の事にも通ずるから、記事にしてもいいね」 

師匠のこの最後の言葉が、この記事を書く決意をさせてくれました。 


なぜなら、この「失われゆくものとの向き合い方」は、拝所だけの話ではないからです。 


私たちの人生には、様々な「失われゆくもの」がありますよね?

・愛する人との別れ 
・故郷の風景の変化 
・子ども時代の思い出の場所の消失 
・伝統的な技術や文化の衰退 
・大切にしていた関係性の終わり 


これらすべてに、今回私が学んだ教訓が当てはまります。 

1. 悲しみを否定しない 

まず大切なのは、悲しみやショックを感じることを否定しないことです。


「悲しんではいけない」
「もっと前向きに考えなければ」

などと自分を責める必要はありません。 

悲しいものは悲しい、それでいいのです。 


2. 喪失の中に意味を見出す 

その喪失が自分に何を与えてくれているかを考えることも大切です。 


失うことで……

その存在の価値がより明確になることがあります。
自分の中に新しい責任や使命が生まれることがあります。

そして、次のステージへの準備が整うこともあります。 


3. 「知っている」ことの価値を認識する 

「知っている」こと、「体験した」ことは、誰にも奪えない記憶であり宝物、財産です。 

失われたからこそ、あなたの記憶はより貴重になります。 


4. 継承者としての自覚を持つ 

失われたものを知る者として、その本質を次世代に伝えていく。
これは形を変えた継承です。 


建物は残らなくても、精神は残せます。
場所は消えても、想いは伝えられます。
 


5. 悲しみを力に変える 

喪失の悲しみは、あなたを弱くするものではありません。 

正しく向き合えば、それは深い洞察と強さを与えてくれます。 


失った痛みを知る者だからこそ、今あるものの尊さがわかります。  

失った経験があるからこそ、他者の悲しみに寄り添えます

この話は、人生そのものにも通じる 

この出来事は、拝みの世界だけの話じゃありません。 


・人との関係
・家族
・仕事
・信頼
・愛情 


どんなものも、「形」としては失われることがある。 

でも、 そこにあったものに本気で向き合った時間や心が動いた瞬間――

それは、消えないの。 


まとめ:記憶と継承の意味 


水子供養の拝所の崩壊は、私にとって大きなショックでした。 

しかし、師匠の言葉を通じて、私はこの出来事から深い学びを得ることができました。 


失われゆくものを目撃することは、確かに悲しいこと。
でも同時に、それは「歴史の階段を上る」ことでもあります。 


私たちは時代の証人として、今この瞬間を生きています。 

今見ているものや体験していること、感じていることは、未来にはもう存在しないかもしれません。

だからこそ、今この瞬間が大切なのです。 


そして、失われたものの記憶を持つ者として、私たちには伝えていく責任があります。 


形ではなく、本質を。 
建物ではなく、精神を。 
場所ではなく、そこに込められた祈りを。 

これが、真の継承なのだと思います。 


拝みは、場所だけのものじゃない。

生きている人の中で、続いていくものだから


この出来事を、私はそう受け取っています。 


今も各地に残る拝所や聖地を大切にしてください。
いつか、それも失われる日が来るかもしれません。

でも、その時あなたが「知っている人」であれば、その記憶はあなたを通じて生き続けます。 


失うことは終わりではなく、新しい形での始まりなのです。 


この記事が何かを失った経験のある方、大切なものを守りたいと思っている方、そして沖縄の精神文化に興味のある方の心に届けば幸いです。 

 

最後に

「今」が大切なんて話、よく耳にしませんか? 


「そうなんだ、よし明日からやってみよう」

それはそれで悪くはないけど ……


本当に大事なのは「なぜ」の部分


なぜ昨日でもなく明日でもなく、今が大事なのか……あなたはわかりますか?


「昨日」過ぎ去ったことでも、今を生きている自分達は二度と体験することはできない。 


「明日」というものは、今を生きている自分達の目の間にやってきたときには 「今日」になっていて未来ではなくなっている。 


それなので、人間にとって本当にあるべき時間は、「今」現在しかないんです。 


だから、今を一生懸命に生きましょう

目の前の一瞬一瞬に、自分の全力を傾けて取り組んでみる。
人のことを想ってみる。 

失敗したっていい。
泥臭くたって、格好悪くたっていいじゃない。


その行いが明日の、そして未来の幸せなあなたの人生につながってくれることを願っています。 

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水子成仏供養U R L https://natsuki-miu.com/mizuko/post_6057/


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